仏像彫刻との出会い

筆者:坂本一夫(無名塾 塾生)

 

私が仏像彫刻を始めたのは44歳のときでした。

 

製本関係の町工場を経営していましたが、土日の過ごし方はゴルフか競馬が主でした。梅田の場外馬券場で投票券を買ったあと、テレビの中継に間に合うまで紀伊国屋で立ち読みをしてから家に帰っていました。

 

ある日、紀伊国屋をうろついていると「おぉい」と呼びかけるというか引き込まれるかのような声が聞こえたので本棚を見ると「松久宗琳の仏像彫刻」という本がありました。へぇー、こんな本があるんだ。と思いながら手に取って開くと白木の「大日如来」。もう、その本をためらうことなく買ってかえり、不謹慎にも競馬中継を見ながら本を開きました。最後ページに各教室の所在地が掲載されていたので、その日のうちに一番近い教室を訪ねて入会しましたが、先生が信仰教団の役員だとわかり、一年半ほどでやめました。そのあと三年ほどしてから「やはり、教室を探しなおしてみよう」と思い「無名塾」にたどり着きました。

 

次に私の知ったかぶりを少し・・・

 

キリスト教を布教するために来日したフランシスコ・ザビェルが「日本人はキリスト教を拒まない」と思ったのは、大日如来は「デウス=神」であると捉えたからという説があります。

 

1・大日如来

少し硬いですが、私の思うキリスト教は「この世においての全ての現象は神の成せることであり、神の子として生まれ、神の子として神に召さる」で、仏教は「全ては空(無)から縁によって生じ、縁によって滅する(無に帰る)」と捉えています。そして、大日如来は真言密教の教主であり、宇宙の根源であるとされ、如来・諸菩薩・諸天仏の現れと捉え、それらと一体化するには身体で印を結び、口で真言=マントラ、陀羅尼=ダラニを唱え、禅定に入る=心を静める。と捉えています。ちなみに、真言は短文。ダラニは長文です。

 

2・地蔵菩薩

二つ三つと十にも満たずに死んだ幼な子が賽の河原で、「一つ積んでは母恋し、二つ積んでは父恋し・・・」と泣きながら、重い石を一つずつ運んでは積み上げて親兄弟へ、恋しい想いを募らせていると、黒い金棒を持った地獄の鬼がやって来ては、「お前は何をするか。そのようなことをすれば、娑婆(しゃば)にいる親の嘆きがかえってお前を苦しめる種になる。われを恨むなよ」といいながら、せっかく積上げた塔を金棒で突き崩してしまいます。こんな時、お地蔵さんが現れて子どもたちを裳裾の中に入れ、抱き抱えて撫でさすりながら彼岸(ろうそくの灯が音もなく消え去った心静かなる境地)へ連れていってくださる菩薩様です・・・地蔵和讃(じぞうわさん)より。

 

3・観音さま、不動明王

日本では「父・母」ですが古代インド(今でも?)では「母・父」です。私は母を観音様、父を不動明王と捉え「母は観世音、父は不動明王なり」をモットーとしています。観音様は観世音菩薩の略で、私たちの世界(娑婆)での喜怒哀楽を共にして、三十三に変化して苦を抜き楽を与えてくれる菩薩です。西国三十三か所巡りはそれを由来としています。菩薩とは、サンスクリット語(聖語)のボーディ・サットバーを漢音読みにした菩提薩埵(ぼだいさった)の略語です。菩提とは悟り。薩埵とは求道者を言い、菩薩とは「悟りを求める人」と思ってください。だから「妙法蓮華経=法華経}の二十五番目にある「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」の中で、観音様は私たちの世(娑婆)を歩き回り、苦楽を共にしてくださるという「遊於娑婆世界(ゆうおしゃばせかい)」が記されています。不動明王は字の如く、いかなることにも動かざるして、憤怒(慈悲)の相で私たちの行いを見ながら、仏の世界へ導く役目を担っています。

 

最後に、私の好きな言葉・・・

 

「人は どこへおもむこうとも 

おのれがもっともいとおしい。

と いうことは 他の人もおなじである。

ゆえに 他の人を害してはいけない」 

・・・お釈迦さまの言葉。

 

わかっちゃいるが できないわたし。

 

 

 

(上掲写真、全て坂本さんの仏像作品)


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